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数学と数理ファイナンスの概説ブログ

Black-Scholesモデル超入門③: 伊藤積分と伊藤の公式

Black-Scholesモデルの初学者向け解説シリーズです. 前回は, Black-Scholesモデルの式

\begin{equation} \left\{ \begin{array}{l} dS^1_t = S^1_t (\mu dt +\sigma dB_t ), \\ dS^0_t = S^0_t r dt.\end{array} \right. \end{equation}

の直感的な意味を説明し,  S^0が具体的に S^0_t = e^{rt}と表されることを見ました. 今回は,  S^1の式のより厳密な意味を解説し, 具体的な表示を与えます. そのために必要なのが伊藤解析という理論です.

ここまで, 方程式 dS^1_t = S^1_t (\mu dt +\sigma dB_t )の数学的意味はかなり曖昧なままにしてきました.  S^0と同様に, 「分母を払った」微分方程式

 \begin{align} \frac{dS^1_t}{dt} = S^1_t \left( \mu  + \sigma \frac{dB_t}{dt} \right) \end{align}

を解けば良さそうですが, この式は意味を持ちません. なぜなら, Brown運動は至る所で微分不可能であり微分 dB_t/dtが存在しないからです. 前回, Brown運動のシミュレーション結果をお見せしましたが, あれはあくまで近似であり実際のBrown運動ははるかに「ギザギザした」グラフを描いています. そのため微分不可能(=なめらかでない)になってしまうのです.

Stieltjes積分

 S^1の方程式をどうするかというと,  dS^1_t = S^1_t (\mu dt +\sigma dB_t )0から tまで「積分した」

 \begin{align} S^1_t - S^1_0 = \int_0^t d S^1_u = \int_0^t S^1_u \mu \, du + \int_0^t S^1_u \sigma \, dB_u \end{align}

として解釈します.  \int_0^t S^1_u \sigma \, dB_uとは一体何者かという疑問が湧きますが, 関数 x_s y_sに対して積分 \int_0^t x_s\, dy_sを定義する理論としてStieltjes(スティルチェス)積分というものがあります.

Brown運動は連続関数なので,  x_s y_sが連続な場合のみ考えます. 区間 [0,t]をいくつかの点 0 = t_0 \lt t_1 \lt \cdots \lt t_n =tに分割し, この分割の仕方を \Deltaと書きます. 分割された小区間の幅の最大値を |\Delta| =\mathrm{Max}_i \, |t_i - t_{i-1}|とします. 和 \sum_i x_{t_{i-1}} (y_{t_i} - y_{t_{i-1}}) |\Delta| \to 0で収束するとき, その極限を \int_0^t x_s \,dy_sと書きます. すなわち, 

 \begin{align} \int_0^t x_s\, dy_s = \lim_{|\Delta| \to 0} \sum_{i=1}^n x_{t_{i-1}} (y_{t_i} - y_{t_{i-1}}).\end{align}

このように定義される積分をStieltjes積分, より正確にはRiemann-Stieltjes(リーマン・スティルチェス)積分といいます. いくつか補足しておきます.

  •  \int_0^t dy_s = y_t - y_0です. 実際, x_s=1とすると \sum_i (y_{t_i} - y_{t_{i-1}}) = y_t - y_0となります.
  •  y_s = sのとき,  \int_0^t x_s \,dy_sは通常の積分 \int_0^t x_s \,dsに一致します(Riemann積分の定義を考えればすぐにわかります).
  •  y_s C^1級のとき,  \int_0^t x_s \,dy_sは存在して \int_0^t x_s y^\prime_s\,dsに一致します. ざっくり言えば, 平均値の定理より s_i \in [t_{i-1}, t_i]で y_{t_i} - y_{t_{i-1}}=y^\prime_{s_i} (t_i - t_{i-1}) なるものをとり,  \sum_i x_{t_{i-1}} (y_{t_i} - y_{t_{i-1}})=\sum_i x_{t_{i-1}} y^\prime_{s_i} (t_i - t_{i-1})で極限をとることで示せます.
  •  y_s C^1級でなくても, 「有界変動である」という条件をみたせば  \int_0^t x_s \,dy_sは存在することが知られています.

  \int_0^t S^1_u \sigma \, dB_uはStieltjes積分として解釈して一件落着となりそうですが, 実はそれも不可能です. 理由はやはりBrown運動が「ギザギザすぎて」有界変動にもならないからです.

伊藤積分

 \int_0^t S^1_u \sigma \, dB_uは実際には伊藤積分として定義されます. 伊藤積分伊藤清という確率論の研究者によって1940年代に考えられたもので, 通常定義できないはずの \int_0^t F_s \ \, dB_uのような積分(=Brown運動に関するStieltjes風の積分)を確率論的な議論により定義したものです.  伊藤積分の構成方法については省略しますが, その雰囲気としてはやはり \sum_i F_{t_{i-1}} (B_{t_i} - B_{t_{i-1}})のなんらかの意味での極限と思ってください. 伊藤積分が定義できるための条件についてはおまけで簡単に説明します.

一般に, 方程式

 \begin{align} X_t - X_0 =  \int_0^t F_s \, ds + \int_0^t G_u \, dB_u \end{align}

のことを省略して dX_t = F_t dt + G_t dB_tと書き, 確率微分と呼びます. つまり,  dS^1_t = S^1_t (\mu dt +\sigma dB_t )

 \begin{align} S^1_t - S^1_0 =  \int_0^t S^1_u \mu \, du + \int_0^t S^1_u \sigma \, dB_u \end{align}

を略記したものだということです. また,  X_tに関する伊藤積分 \int_0^t H_s \, dX_sも定義することができ, 

\begin{align} \int_0^t H_s \, dX_s = \int_0^t H_s F_s\, ds + \int_0^t H_s G_s \, dB_s\end{align}

が成り立ちます.  dX_t = F_t dt + G_t dB_tという記法と整合していることが確認できると思います.

伊藤の公式

伊藤積分を使った計算のことを伊藤解析と呼びます.その中で最も重要なのが伊藤の公式で, 普通の積分とは異なる計算ルールが適用されます. まずは通常のStieltjes積分に関するルールからみましょう.

定理1.  x_sが連続かつ有界変動で,  f(s,x)がそれぞれの変数に関して C^1級関数のとき, 

\begin{align} f(t,x_t) - f(0,x_0) = \int_0^t \partial_s f(s,x_s)\, ds + \int_0^t \partial_x f(s,x_s)\, dx_s. \end{align}

ここで,  \partial_s f(s,x), \partial_x f(s,x)はそれぞれ s, xに関する偏微分を表す. 特に,  f(x) C^1級のとき

\begin{align} f(x_t) - f(x_0) = \int_0^t f^\prime (x_s)\, dx_s. \end{align}

(定理1の主張終わり)

定理1はある種のTaylor展開のようなものです.  x_s=sのとき, 2つ目の式は微分積分学の基本定理 f(t) - f(0) = \int_0^t f^\prime (s) \,dsと同じになります. 

伊藤の公式とは, 定理1の伊藤解析バージョンのことです. 

定理2(伊藤の公式).  dX_s = F_s ds + G_s dB_sとする.  f(s,x) sに関して C^1級,  xに関して C^2級とする. このとき, 

\begin{align} f(t,X_t) - f(0,X_0) = \int_0^t \partial_s f(s,X_s)\, ds + \int_0^t \partial_x f(s,X_s)\, dX_s + \frac{1}{2} \int_0^t \partial_x \partial_x f (s, X_s)\, d \langle X\rangle_s. \end{align}

ここで,  \langle X \rangle_s = \int_0^s G_u^2 \, du, すなわち d \langle X\rangle_s = G_s^2 dsと定義する. 特に,  f(x) C^2級のとき

\begin{align} f(X_t) - f(X_0) = \int_0^t  f^\prime(X_s)\, dX_s + \frac{1}{2} \int_0^t f^{\prime \prime} (X_s)\, d \langle X\rangle_s. \end{align}

(定理2の主張終わり)

定理2を確率微分で書くとそれぞれ

\begin{align} df(t,X_t)= \partial_t f(t,X_t)\, dt + \partial_x f(t,X_t)\, dX_t + \frac{1}{2} \partial_x \partial_x f (t, X_t)\, d \langle X\rangle_t, \end{align}

\begin{align} df(X_t) =  f^\prime(X_t)\, dX_t + \frac{1}{2} f^{\prime \prime} (X_t)\, d \langle X\rangle_t \end{align}

となります.  dX_t d\langle X \rangle_tの定義を使ってさらに書き下すと, それぞれ

\begin{align} df(t,X_t)= \left( \partial_t f(t,X_t) + \partial_x f(t,X_t) F_t + \frac{1}{2} \partial_x \partial_x f (t, X_t) G_t^2 \right) dt + \partial_x f(t,X_t) G_t\, dB_t, \end{align}

\begin{align} df(X_t) =  \left( f^\prime(X_t) F_t + \frac{1}{2} f^{\prime \prime} (X_t) G_t^2 \right) dt + f^\prime (X_t) G_t dB_t \end{align}

となります.

 \langle X \rangle_t 二次変分と呼ばれます. イメージとしては,  d \langle X \rangle_t は形式的な掛け算 d X_t \cdot dX_tを表しています.  d X_t \cdot dX_t dX_t = F_t dt + G_t dB_tを代入して, 形式的なルール

\begin{align} dt \cdot dt = 0, \qquad dt \cdot dB_t = dB_t \cdot dt = 0, \qquad d B_t \cdot dB_t = dt \end{align}

を適用します. すると, 

 \begin{align} dX_t \cdot dX_t\end{align}

 \begin{align} = F_t^2 dt \cdot dt + 2 F_t G_t dt \cdot dB_t +G_t^2 dB_t \cdot dB_t \end{align}

 \begin{align} =G_t^2 dt \end{align}

 d\langle X \rangle_tの定義と一致します.  d B_t \cdot dB_t = dtこそが伊藤の公式を通常と異なるルールたらしめている原因です. なお,  d \langle X \rangle_tの定義において F_t = 0, G_t=1とおくと X_t = B_tであり,  d\langle B \rangle_t = dtが得られます. これは形式的なルール d B_t \cdot dB_t = dtと整合しています. 

 S^1の具体的表示

さて, 方程式 dS^1_t = S^1_t (\mu dt +\sigma dB_t )の解は実は

 \begin{align} S^1_t = S^1_0 \exp \left( \sigma B_t +  \left( \mu - \frac{\sigma^2}{2}  \right)t \right)\end{align}

で与えられます. 伊藤の公式を使ってこれをチェックしてみましょう. 定理2で F_s = 0, G_s = 1とし,  f(s,x) = S^1_0 \exp (\sigma x + (\mu - \sigma^2/2)t)とします. このとき X_t = B_tであり, 簡単な計算より

 \begin{align} \partial_s f (s,x) =  \left( \mu - \frac{\sigma^2}{2}  \right) f(s,x), \quad  \partial_x f (s,x) = \sigma f(s,x), \quad \partial_s \partial_s f (s,x) = \sigma^2 f(s,x)\end{align}

が成り立ちます. したがって,  S^1_t  = f(t, B_t)とおくと伊藤の公式より

 \begin{align} dS^1_t\end{align}

 \begin{align} = \left( \mu - \frac{\sigma^2}{2}  \right) f(t,B_t) dt + \sigma  f(t,B_t)  dB_t + \frac{1}{2}\sigma^2 f(t,B_t) d\langle B \rangle_t \end{align} 

 = \mu S^1_t dt + \sigma S^1_t dB_t

が示せました. 

次回予告

今回まで, Black-Scholesモデルの式について説明してきました. 次回からはいよいよデリバティブの価格付けへと足を踏み入れます. 投資戦略を1つ定めたときの資産価値を伊藤の公式により計算します. また, 数理ファイナンスで重要なリスク中立確率に関して説明します.

おまけ: 伊藤積分の構成

伊藤積分 \int_0^t F_s \, dB_sが定義できるための条件について大まかに説明します. 関数 F_tはランダム, つまり各時刻 tに対し F_tは確率変数になっているとします. 

  •  F_tの確率分布は時刻 tまでの情報でわかり, 
  •  \int_0^t F_s^2 \, d t \lt \inftyが成り立つ(正確には, 確率1で成り立つ)

とき, 伊藤積分 \int_0^t F_s \, dB_sを定義することができます. 1つ目の条件はなんとも曖昧ですが, 測度論的確率論と呼ばれる分野(数学者が確率論と言えばふつう測度論的確率論を指します)では「時刻 tまでの情報」というのは数学的に厳密に定義されており, 「 F_tの確率分布が時刻 tまでの情報でわかる」ということも厳密に表現できます. これらの条件からも,  \int_0^t F_s \, dB_sが確率論的に定義されていることがうかがえると思います. なお, 2つ目の条件をより強い(厳しい)

 \begin{align} \mathbf{E} \int_0^t F_s^2 \, d t \lt \infty,  \end{align}

つまり確率変数 \int_0^t F_s^2 \, d tの期待値が有限値になるという条件に変えた場合, 伊藤積分 \int_0^t F_s \, dB_sマルチンゲール性という良い性質をもつことが知られています. マルチンゲールは数理ファイナンスにおいても重要な概念ですが, 本シリーズでは(おそらく)深入りしないと思います.

 

Black-Scholesモデル超入門②: 式のイメージとBrown運動

前回に続きBlack-Scholesモデルの初学者向けの解説をします. 今回は, Black-Scholesモデルの数式のイメージを解説していこうと思います. 今回は雰囲気だけを掴んでもらえれば結構です. 次回, より厳密な意味を説明します. 

Black-Scholesモデルは, 次のような数式で表されます.

\begin{equation} \left\{ \begin{array}{l} dS^1_t = S^1_t (\mu dt +\sigma dB_t ), \\ dS^0_t = S^0_t r dt.\end{array} \right. \end{equation}

また,  S^1_0 \gt0, S^0_0 = 1です. 

 S^1_tは株価などのリスクがある資産の時刻 tでの価格を,  S^0_tは銀行預金や債券などのリスクがない資産の時刻 tでの価格を表しており, 時刻t (\geq 0)の関数になっています. S^1_tではなくS^1(t)と書いても構いません.  dS^1_t dtの正確な意味は一旦置いておいて, 今回は S^1_ttの微小変化くらいの意味で捉えておきます.

連続複利

 式が簡単な S^0_tの方から解説していきたいのですが, その前に複利と連続複利について解説しておきます. 100万円を年10%(=0.1), 1年複利で3年間預金する場合, 預金額は次のように推移します.

  • 1年後: 100\text{(万円)} \times (1 + 0.1) = 110 \text{(万円)}.
  • 2年後: 110\text{(万円)} \times (1 + 0.1) = 121 \text{(万円)}.
  • 3年後: 121\text{(万円)} \times (1 + 0.1) = 133.1 \text{(万円)}.

3年後の預金額をいきなり求めるには100\text{(万円)} \times (1 + 0.1)^3とすれば良いです.

次に, 1年複利ではなく半年複利とした場合はどうでしょうか. この場合, 半年ごとに複利計算を行う代わりに1回の計算に使う金利は半分の 5\%とします. したがって, 3年後の預金額は次のようになります.

100\text{(万円)} \times (1 + 0.05)^6 = 134.01 \text{(万円)}.

一般に,  S円を年率100r \% = r (\gt 0),  1/n複利 t年預金したときの預金額は次で与えられます.

 \begin{eqnarray}S \left( 1 + \frac{r}{n}\right)^{nt} \end{eqnarray}.

連続複利とは, 上の式で n \to \inftyとしたものを言います. 複利が転がる回数が限りなく大きくなり, 連続的に複利が転がるようなイメージです. 高校数学で習った自然対数の底の定義 e = \lim_{x \to \infty} (1+1/x)^x より, 

 \displaystyle \lim_{n \to\infty} S \left( 1 + \frac{r}{n}\right)^{nt} = S e^{rt}

が成り立ちます. 実は,  dS^0_t = S^0_t r dt, S^0_0=1の解は S^0_t = e^{rt}に他なりません. 実際,  S^0_t = e^{rt}は明らかに S^0_0 = 1をみたしますし, 

 \begin{align} \frac{dS^0_t}{dt} = r e^{rt} = r S^0_t \end{align}

の「分母を払えば」 dS^0_t = S^0_t r dtになります. ということで,  S^0_t 1円を単位時間あたりの利率 rの連続複利で運用したときの時刻 tでの価値を表しているのです.  S^0はリスクのない資産ですので, 確率的に変動することはありません.

収益率による解釈

 金融の世界においては, 投資の成績や株価の変動は収益率(リターン)で捉えられることが多いです. A社の株価が 100円から 200円になり, B社の株価が 1000円から 1100円になったとします. 両者ともに 100円のプラスですが, 伸び率はA社の方がはるかに上です.  それぞれの収益率は

  • A社:  \displaystyle \frac{200-100}{100} = 1 =100 \%
  • B社:  \displaystyle \frac{1100-1000}{1000} = 0.1 =10 \%

と計算されます. このように, 収益率を使うことで異なる価格の商品の価値変動を比較することができます.

収益率を使って S^0_tを解釈し直しましょう. 時刻 tから t+\Delta tまでの収益率を考えます. 単位時間当たりの利率が rなので収益率は r \Delta tとなります. したがって, 

 \begin{align} \frac{S^0_{t+\Delta t} - S^0_t}{S^0_t} = r \Delta t.\end{align}

微小な \Delta tを考えると,  S^0_{t+\Delta t} - S^0_t d S^0_tになり

 \begin{align} \frac{d S^0_t}{S^0_t} = r d t\end{align}

となります. 分母を払えば, 元々の dS^0_t = S^0_t r dtを得ることができました。

次に S^1_tを考えましょう. こちらは収益率を \muとします.  \muは負になることも許すとします.  S^1はリスクのある資産ですので, 確率的に変動する項(確率変数)を付け加える必要があるでしょう. そこで, 次のようにおきます.

 \begin{align} \frac{S^1_{t+\Delta t} - S^1_t}{S^1_t} = \mu \Delta t + \sigma Z, \qquad  Z \sim \mathrm{N} (0, \Delta t).\end{align}

ここで,  \mathrm{N} (0, \Delta t)は平均 0, 分散 \Delta t正規分布で,  \sigma \gt 0です.  \mu \Delta t + \sigma Zの期待値は \mu \Delta tとなるため,  \muは(単位時間あたりの)期待収益率と呼ばれます.  \sigmaボラティリティと呼ばれる正の数で, 収益率の変動の大きさを表します.

 Z t t +\Delta tに応じて決まる確率変数なので,  Z(t, t+\Delta t)と書く方が正確です.  t_1 \lt t_2 \lt t_3のとき, 時刻 t_1から t_2までの収益率と時刻 t_2から t_3までの収益率は無関係, つまり独立な確率変数であると考えられるので,  Z(t_1, t_2) Z(t_2, t_3)は独立であるとします.  Z(t, t+\Delta t) \sim \mathrm{N} (0, \Delta t)とした根拠については下のおまけで解説します.

Brown運動

 S^1_tの表現まであと一歩です.  Z(t, t+\Delta t)たちを, 確率論において重要な対象であるBrown運動によって効率良く表現します. Brown運動 B_tとは, 時刻 t(\geq 0)に関する連続関数で以下のような性質をみたすものとして定義されます.

  1.  B_0 = 0,
  2.  0\leq s \lt tに対し,  B_t - B_s \sim \mathrm{N} (0, t-s),
  3.  0 = t_0 \lt t_1 \lt \cdots \lt t_nに対し,  B_{t_1} - B_{t_0}, \ldots, B_{t_n} -B_{t_{n-1}}は独立.

Brown運動をシミュレーションした結果はこんな感じです.   B_t - B_sは, 時刻 sから tまでの上下の変動量を表しています. 3つ目の条件は, いわば「昨日から今日までの変動と今日から明日までの変動は無関係」ということを意味しています.

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 Z(t, t+\Delta t)の代わりに B_{t +\Delta t} - B_tとおくとができます. 実際,  B_{t +\Delta t} - B_t \sim \mathrm{N} (0, \Delta t)ですし,  t_1 \lt t_2 \lt t_3のとき B_{t_2} - B_{t_1} B_{t_3} - B_{t_2}は独立なので, 整合性がとれています. 

 \begin{align} \frac{S^1_{t+\Delta t} - S^1_t}{S^1_t} = \mu \Delta t + \sigma (B_{t +\Delta t} - B_t)\end{align}

で微小な \Delta tを考えて

 \begin{align} \frac{dS^1_t}{S^1_t} = \mu \Delta t + \sigma dB_{t}\end{align}

とし, 分母を払えば dS^1_t = S^1_t (\mu dt +\sigma dB_t )にたどり着きます.

次回予告

次回は, 方程式 dS^1_t = S^1_t (\mu dt +\sigma dB_t )のより厳密な意味を解説します.  S^0と違って, 「分母を払った」微分方程式

 \begin{align} \frac{dS^1_t}{dt} = S^1_t \left( \mu  + \sigma \frac{dB_t}{dt} \right) \end{align}

は実は数学的な意味を持ちません. これを解決するのが伊藤解析という理論です. 伊藤解析とはBrown運動に関する微分積分の理論で, 通常の微分積分とは異なる計算ルールを持ちます. 伊藤解析により,  S^1_tの具体的な表示を計算することができます.

おまけ:  Z \sim \mathrm{N} (0, \Delta t)とした根拠

 Z正規分布する理由は決め打ちというほかありません. しかし, 分散が \Delta tであることには一定の理由があります.  t_1 \lt t_2 \lt t_3とします.  t_2-t_1 t_3 - t_2が微小であるとき, 

時刻 t_1から t_2までの収益率 + 時刻 t_2から t_3までの収益率 = 時刻 t_1から t_3までの収益率

という関係が期待されますが, 

時刻 t_1から t_2までの収益率 = \mu (t_2 - t_1) + \sigma Z(t_1,t_2),

時刻 t_2から t_3までの収益率 = \mu (t_3 - t_2) + \sigma Z(t_2,t_3),

時刻 t_1から t_3までの収益率 = \mu (t_3 - t_1) + \sigma Z(t_1,t_3),

を代入して整理すると, 

 Z(t_1, t_3) = Z(t_1, t_2) + Z(t_2, t_3)

となります.  Z(t_1, t_2) Z(t_2, t_3)は独立にそれぞれ \mathrm{N}(0, t_2 - t_1), \mathrm{N}(0, t_3 - t_2)に従うので, 正規分布の性質より Z(t_1, t_2) + Z(t_2, t_3) \sim \mathrm{N}(0, t_3 - t_1)となって Z(t_1, t_3)の分布と一致していることがわかります.

Black-Scholesモデル超入門①: イントロダクション

今回から, 数理ファイナンスにおけるBlack-Scholesモデルについて初学者向けの解説シリーズを書いていきます.

本シリーズのコンセプト

目標
  • いわゆるBlack-Scholes公式を導出することが目標です.
  • 厳密性や詳細な証明はある程度犠牲にして, 議論の流れや式のイメージを掴みます.
対象者, 前提知識
  • 数理ファイナンスに興味を持ち始めた人/テキストを開いて挫折した人が対象です.
  • 金融の知識は一切必要ありません.
  • 数理ファイナンスでは伊藤解析と呼ばれる数学理論が広く使われています. 伊藤解析に関する必要事項は記事内で解説します. 
  • 数学科で習うようなレベルの知識は仮定しません.
  • 微分積分の知識は仮定します. 微分方程式と聞いて怯まない程度の慣れがあると良いでしょう. 
  • 確率・統計については期待値, 独立性, 正規分布に関する知識は説明なしで使います.

第1回である今回は, デリバティブなどのファイナンスに関する用語について解説していきます. また, Black-Scholesモデルが何をしたいかの動機付けを行います.

ファイナンスの用語解説

金融市場

投資家たちは日々, 金融市場(しじょう)と呼ばれる場でお金の運用や調達を行なっています. このような取引は東京証券取引所などの取引所で行われるか(証券所取引), 取引相手と直接行われています(相対取引, あいたいとりひき). 株の取引は少しイメージしやすいかもしれませんが, 他にも色々な市場があります.

金融市場は, 大きく短期金融市場長期金融市場に分かれます. 短期金融市場は期間が1年未満の資金運用/調達の場で, 金融機関のみが参加するインターバンク市場と金融機関以外も参加できるオープン市場に分かれます. 長期金融市場は期間が1年以上の資金運用/調達の場で、株式市場と債券市場に分かれます. 株式と債券について, なじみのない方のために簡単に解説します.

株式とは, 株式会社が発行する証券です. 株式会社は株式を投資家に買ってもらうことで資金を調達し, 事業を行います. 投資家が出資したお金が返ってくることはありません. その代わり, 株主(株式の持ち主)は会社の利益の一部を配当金として受け取ることができ, 株式保有割合に応じて株主総会での議決権を持つことで経営に参加できます. したがって, 株式の過半数を取得することはその会社を買収するということになります. 

よく知られている会社の株式の多くは, 取引所で投資家たちの間で売買されています. 株式の価格(株価)は需要と供給に合わせて刻々と変化していて, 安い時に買って高い時に売れば利益が出ますし, 逆に損をすることもあります. 投資家の多くは, そうした利益を上げるために株式を売買しています. 

債券とは, 国や企業などが投資家から資金を借り入れた時に発行する証券です. 国が発行すれば国債, 地方自治体が発行すれば地方債, 会社が発行すれば社債と呼びます. 債券保有者は, 一定の期間ごと(例えば半年ごと)に利子を受け取ることができ, 満期が来れば借りたお金(元本)は返済されます. また, 債券自体も市場で価格がつけられて取引されています. つまり, 「利子と元本を受け取る権利」を売買しているということです. 発行体が借りたお金を返せない事態(債務不履行あるいはデフォルト)にならない限り投資額以上のお金を得られるという点で, 一般に債券は株式より安全と言えます. なお, 「債権」と書くと別の意味になるので注意.

デリバティブ

株式や債券そのものではなく, そこから派生してできる別の商品も市場で取引されてます. これをデリバティブ(金融派生商品)といいます. デリバティブは大きく3つに分けられます. 

1つ目がスワップです. スワップとは, 将来のある期間におけるキャッシュフロー(お金の動き)を交換する契約です. ここでは一例として金利スワップをあげます. Aさんが銀行からお金を借り入れていて、このときの金利が市場によって変動する変動金利であったとします. Aさんが「今後変動金利が上昇するだろう」と予想していた場合, 銀行と金利スワップを行うことで金利を固定化できます. すなわち, 銀行から変動金利を受け取って固定金利を支払うことで, 実質的に固定金利で借り入れをしていることにできるのです. このとき, 変動金利と交換できる固定金利のことをスワップレートと呼びます. 

2つ目が先物取引です. 先物取引とは, 将来の決められた時点である商品を決められた価格で売買するという契約です. 「1週間後にりんご10個を1000円で買う」と約束するようなものです. こうすることで, 1週間後のりんごの価格がどうなっていようと10個1000円で売買することになります. 実際に現物を受け渡しすることはあまりなく, 期日に反対売買をして差額だけを決済することが多いです(差金決済).

3つ目がオプションです. オプションとは, 将来の決められた時点(あるいは期間)である商品を決められた価格で売買する権利です. 最も単純なヨーロピアコールオプションを例にとって説明しましょう. AさんはBさんに100円支払って「1週間後にりんご10個を1100円で買う権利」を買ったとします. 

  • 1週間後, りんごの相場が上がって10個1300円になっていたとしても, Aさんは権利を行使することでBさんから1100円でりんごを買うことができます. 浮いた200円から最初に払った100円を差し引いても100円の得です. 
  • もしりんごの相場が下がって10個1000円になっていたら, 権利を行使しても相場より高い価格で買うことになるだけす. したがってAさんは権利を行使することはなく, 最初に払った100円は丸損です.

なお, 最初に支払った100円のことをプレミアムと呼びます. また, 上の契約が「ヨーロピアンコール」と呼ばれる理由ですが,  「ヨーロピアン」は満期日(ここでいう1週間後)にしか権利行使できないということ意味しています. 他には満期日までいつでも権利行使できる「アメリカン」もあります. 「コール」とは買う権利を意味します. 売る権利のことは「プット」と呼びます.

Black-Scholesモデルの目的

Black-Scholesモデルは本来的にデリバティブの価格付けの理論です. 上の例であげたヨーロピアンコールは100円で売買されていましたが, これは適正な価格なのでしょうか. そうでないとすれば, 適正な価格とはいくらなのでしょうか. このような問いに理論的な答えを出すのがBlack-Scholesモデルの目的です. 

価格付けの肝となるのは無裁定という考え方です. 初期投資なしで, なおかつ損する確率0で利益を上げる可能性があるような状況のこと裁定(機会)といいます. いわば何もないところからお金を生み出せるような状況です. 数理ファイナンスでは, 市場が無裁定(=裁定機会は存在しない)になるようにデリバティブの価格を求めます. デリバティブが高すぎれば売ることで、安すぎれば買うことで裁定を取ることができてしまいます. そのようなことが起こらない価格が適正な価格であるという考え方です.

次回予告

次回はBlack-Scholesモデルの数式に踏み込みます. Black-Scholesモデルとは次にような数式で表されるモデルです. 

\begin{equation} \left\{ \begin{array}{l} dS^1_t = S^1_t (\mu dt +\sigma dB_t ), \\ dS^0_t = S^0_t r dt\end{array} \right. \end{equation}

この2つの式について, 可能なかぎり直感的な説明を試みます. また, Brown運動という数学的対象についても解説します.